『書物の迷宮』予告篇

思い出したように本を読み、本の読み方を思い出す

テーマって何だろう?

この物語に主題を見出さんとする者は告訴さるべし。そこに教訓を見出さんとする者は追放さるべし。そこに筋書を見出さんとする者は射殺さるべし。


小説のテーマとは何か?
上記リンク先の文章を読んで色々思うところがあったので、「小説におけるテーマ」について考えてみる。



以下の三つの点についてちょっと考えてみたいと思います。

  • どうして「テーマ」が小説の中に発生してくるのか
  • 「テーマ」の必要性
  • 結論:「テーマ」とは何なのか

ちなみに前の二つはid:natu3kanさんのはてブコメントから拝借しました。

  • どうして「テーマ」が小説の中に発生してくるのか

私が使っている新辞林によれば、

テーマ【(ド) Thema】
(1)創作や議論の根本的意図・題目・中心課題など。主題。
(2)〔theme〕
機能主義言語学の文法理論で,文の主題となる部分。例えば,「象は鼻が長い」の「象は」は「象においては」という文の主題を示すとされ,「鼻が長い」は情報(レーマ)とされる。

だそうです。これらを元に考えを進めていきたいと思います。


たいていの場合、作者は小説を書く際に、まずモチーフ(題材)を最初に想起するのではないでしょうか。ここでいうモチーフには、テーマも含まれます。
この際、「モチーフとしてのテーマ」は「作者の主張」という場合が多いと思われます。創作の動機すなわちテーマである場合、この段階でテーマが発生します。
一番最初に主張がある作品、例えばニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』は小説とは言えませんが、形を変えた自らの主張・思想であるという点で「テーマが先にある作品」と呼べそうです。
しかし、そうでない場合も考えられるでしょう。
例えば、ガルシア・マルケスの『予告された殺人』は実際にあった事件を元に再構成した、ドキュメンタリー的な小説です。
この小説の場合、モチーフとなったのは「実際にあった事件」です。この段階では「テーマ性」は顕在化していません。言うなれば、「主語はあるが、それに続く動詞・形容詞・目的語などがない状態」です。
この主語に続く言葉、つまり作者の解釈がテーマになります。つまり、テーマは「作者自身の考えや文体によって、モチーフから浮かび上がってくるもの」という、「作者の主張」ではない、もう一つのテーマ性が考えられるということです。
「もう一つのテーマ性」とは、「作者の主観によるモチーフの解釈」なのです。
テーマと云うものが浮かび上がってくる理由は、作者がモチーフを選び取りそれに解釈を加える事で、文章化されたものがテーマ性を帯びるためです。


・「テーマ」の必要性
小説を書く上では、テーマと云うのは必ずしも必要ではありません。
何故なら、テーマは作者が意識するにせよしないにせよ、勝手に読者の方が読み取るからです。
例えば「善の勢力と悪の勢力が戦う」という単純な構図を用意します。これはモチーフであって、まだこの時点ではテーマがありません。
ここで物語展開に、「勧善懲悪」という終着点を用意します。この時点で既に、読者はこの話のテーマの一つを「勧善懲悪」として読み取る事が出来ます。つまりストーリー構成の問題、起点と終点を決めただけでも、そこからテーマを読み取る事が出来るのです*1
ここで、テーマ生成の過程が二種類明らかになります。「作者がモチーフを解釈する」と「読者がモチーフを解釈する」です。
小説がアイディアから文章と云う形を持つ段階では、テーマはその存在を作者による解釈の結果、文章に依存しています。
しかし、小説がいったん読み手の手に渡ると、テーマは読み手の文章解釈にその存在を依存するようになります。
ですから、作者がテーマを意識する必要は必ずしもありません。小説が完成した時、そこには既に読者がテーマを読み取る余地があるからです。
しかし、まったくテーマ性を意識しないで小説を書いたとしても、良い小説にはならないでしょう。
例えば、前述のようなテーマ性として単純な「勧善懲悪」しか持たない小説を考えてみてください。
善が一方的に悪を挫くのが当然であるというだけの小説。それは面白そうですか?
そのままでは「善の勢力が悪の勢力を倒した」の一言で済みます。ここで登場人物同士のただの会話やじゃれ合いでばかり水増ししてしまうと、「ラノベ=テーマ性が二の次」と言った批判を浴びることとなるでしょう。
結局、面白い小説(ラノベ含む)というのは、単一のテーマ、あるいは単純なテーマでは作れないであろうということになります。
これは小説に限ったことではないと思います。単一あるいは単純なテーマを扱うなら、それを掘り下げねばならず、結果として「単一あるいは単純なテーマ」という形ですまなくなると思います。


・結論:「テーマ」とは何なのか
結論として、テーマは「書き手のテーマ」「読み手のテーマ」があります。
「書き手のテーマ」はモチーフ、書き手の文章、彼の経験、思想や思考などのバックグラウンドによって発生する、モチーフ*2に対する彼の解釈です。
「読み手のテーマ」は書き手の解釈したモチーフを、読み手がどのように解釈するか、読み手の経験、思想、思考などのバックグラウンドを元にした小説に対する解釈のことです。
「書き手のテーマ」と「読み手のテーマ」は一致することもありますが、そうでないこともあります。
文章化される際に作者が意識しなかった要素や、作者にはない読み手の経験などがあって初めて見えてくるテーマなども考えられるからです。

以上、こんなところでどうでしょうか。


ちなみに、文頭に挙げたマーク・トウェインの序文ですが、ここからは主題(テーマ)・教訓・筋書きは仄めかされるものであって、あからさまに示すものではないということが読み取れる気がします。

*1:テーマは必ずしも一つとは限りません。無数のエピソードや登場人物の集積としての小説は、そのエピソード一つ一つ、登場人物一人一人の行動、態度、言動などによって無数のテーマを表出させるでしょう。

*2:テーマ=モチーフの時はテーマを語ることが、それ自体の解釈になります。