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『書物の迷宮』予告篇

思い出したように本を読み、本の読み方を思い出す

20世紀SFの転換点は60年代っぽい

『20世紀SF 1990年代 遺伝子戦争』を読んでる途中でメモ。
40〜50年代にかけてのSFは、「SF」というジャンルの基礎固めっぽい。
ヴェルヌとかは小学校くらいに読んだのであまり覚えていないけれど、科学そのものが法螺話的な用法で用いられていたそれらに比べて、40年代以降は物語構成上で奇想を盛り込むことで法螺話的なもの、SFを作っている気がする。
かつてアメリカには、自分の出身地の自慢を法螺で語るというのがあったらしいけど、40年代のSFはそれの宇宙・科学版っぽい感じ。
50年代に入って、法螺話がより幻想味と強度を増して、SFとして完成されていった感じがする。
科学・技術は脇役、背景となり、物語としての質自体が問われているような。
60年代になると、そこにさらにカフカなどの不条理系、幻想文学などの要素が足されて、それ以前とはちょっと異質な要素を混ぜ込み始める。
70年代、ここでやっと女性が自らの名前を明かして*1SF界に参入し始める。フェミニズムの影響を受けた、所謂フェミニズムSFの類いも出現し始める。
80年代、サイバーパンク。技術に因る人間の意識の拡大、もしくは技術に対するオプティミズムの時代。


で、今、90年代を読んでいる訳ですが。……ちょっと物足りない気がする……。
まだ半分しか読んでいないけれど、この中ではグレッグ・イーガンが傑出している。収録作は『しあわせの理由』。
身体に関わる技術、あるいは意識に関わる技術は、半ば以上哲学の領域に関係してくるものな訳ですが、イーガンはその辺をうまく処理している*2
しかし、その他の作家については、どうも面白みに欠ける予感。
科学技術に関する考証の正確さ、その使い方の上手さは認めるけど、40〜50年代に比べると奇想に欠けるし、60〜70年代に比べれば、文学っぽさ*3がない。
80年代、サイバーパンクの頃からサイバーパンクを差っ引いてしまったような味気なさを感じる。
まぁ、まだ半ばなので結論を出すのは早計ですが。
シモンズ『ケンタウルスの死』の作風は、ジーン・ウルフにちょっと似ているかもしれない。

*1:ジェイムズ・ディプトリー・Jr.を除く。70年代に賞を取ったのは女性が多かったようだ。

*2:その結果が、完全文系な人にとって分かりやすいかはさておき。

*3:意識とか認識周り、その変質関連とか? 自分で言っておいて説明しがたい。