『書物の迷宮』予告篇

思い出したように本を読み、本の読み方を思い出す

ペレック『煙滅』

こうやって、すべてが反転するのだ。不足から飽和へ、束縛から奔放へ。想像の作用で暗黒が光華へと生まれ変わるのだ!
――ペレック『煙滅』


これもまた煙滅のある顕現。


かねてから伝聞漏れ伝わるところの、可能文学工房の作家ペレックの『煙滅』。
ある仮名*1が「煙滅」せる世の混乱を描く作である。
ところどころではポーのデュパンがカナブンを求め、モベー・デックが海原から現われ、船頭アハブをメエルストロゥムへ消す、などの文学模倣が仮名の煙滅のもと行なわれ、なかなかわくわくで笑えるものである。
あるあわれを誘う言葉が忘れられぬ。やがて煙滅する男アッパー・ボンの、眠ること能わず懊悩輾転の夜の独白、ある名をば唱えすがろうとする、されど煙滅せるその名……*2
エスエフ作家康隆翁の労作との差は、煙滅のため、さまざまの現存が予防されておることであろう。先行する煙滅が、ある束縛を公然とさせる。
『煙滅』もまた当方が好んで嘯くこの言葉、「鍵盤の煙滅せる世の鍵盤演奏家」設問のサンプルなのではなかろうか?
ある音、五音の二つめ、その煙滅の途端、万学連環からは無数の単語がこぼれる。
されど『煙滅』のなかの彼等は、そのこぼれたる万語億語を覚えず、ただ狂わん不安と不足のただなかでもだえるままなのだ。
「鍵盤の煙滅せる世の鍵盤演奏家」と述べたが、そもそもその鍵盤、モノトーンの鍵盤のあの楽音奏でるあの道具、その名を述べられぬことこそ、『煙滅』が設問そのものであることの疑うべからざる裏付けではなかろうか。


煙滅 (フィクションの楽しみ)

煙滅 (フィクションの楽しみ)

*1:ある仮名をアルカナと読めば、『さだめの交差するやかた』の作家も半分からが煙滅で、さぞ創作の上で困難であったろう。

*2:おおさまよえる綿羊よ。