ジョイス・マンスール『充ち足りた死者』
「だれかほかの人が、あたしの人生を生きてくれればいいのに。感じやすい情愛を切りもなく背負わされて、あたしは、酒のせいでとけとげしくなった老人たちにかこまれ、無気力の砂州に乗りあげることしかできないんだ。虚飾や淫蕩さや愚行に逆らえるほど厚かましい女でもないし」
— ジョイス・マンスール「マリー、または傅くことの名誉」
「血腥さと、ままならないもの」の小説だったのではないか、ということをやっと今日になって思いついた。
作者:ジョイス・マンスールはエジプト出身の作家で、アンドレ・ブルトンに見出された人物らしい。
ブルトンというと、「女の王国」であるとか、「ファンム・アンファン」などという言葉が思い浮ぶが、どうもそこには胡散臭さがあるような気がする。
例えば「女の王国」の画家として、ブルトンはポール・デルヴォーを挙げているが、個人的にはデルヴォーは何か「無臭」な感じがする。
また「ファンム・アンファン」、「子供のような女」の例としてシュルレアリストに愛されたものといえば、ルイス・キャロル『不思議の国のアリス』が挙げられる。
ここにはデルヴォーの場合とは違い、慎み深く隠された臭いがあるような気がする。
ただそれは、ジョイス・マンスールの小説を読んだときに感じる臭いとは、違ったものに思われる。
『不思議の国のアリス』についてアントナン・アルトーが書簡のなかで述べた言葉、「ぼくは欲望や衝動を支配するのも、それらに支配されるのも、厭だ。ぼくはそれらの欲望や衝動でありたいのだ」を強く連想する。
ジョイス・マンスールの小説中に書かれているのは、欲望や衝動そのものであるが、それは血腥く、ままならないものなのだ。
暗殺者のいけにえとなり、男の欲望のために傅きながらも、マリーは、根元的なエロティシズムと「狂気の愛」によって勝利をおさめる――。シュルレアリスム小説の傑作!
充ち足りた死者たち :J・マンスール,巖谷 國士|河出書房新社
こんな紹介文があったけど、どうも勝利とかそういうイメージを連想できない。