R・D・レイン「引き裂かれた自己」
- 作者: R.D.レイン,阪本健二,志貴春彦,笠原嘉
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 1971/09/30
- メディア: 単行本
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私が本書の中で何よりも伝えたいと思ったことは、精神病と診断された人を理解することは一般に考えられているよりはるかに可能だ、ということであった
R・D・レイン「ひき裂かれた自己」ペリカン版の序文より
研究書だったので読みにくかったですが、とても面白かったです。
患者を「理解不能な異物」ではなく、「対話可能な人間」として向き合う。当然のことを言っているようですが、もしかして殆どの人は、そんなことはできていないんじゃないか……と、患者とその家族に関する記述を読みながら考えたり。
この本、もっとたくさんの人が読んでいてよい本だと思います。精神医学とかに興味ある人・ない人、問わずお薦めです。
特に気になった部分を引用。
本当に生きているという感じをもっとはっきり体験するために、自分自身を非常な苦痛や恐怖にさらす方法がある。このようにして一人の分裂病の女性は、自分の手の甲に煙草を押しつけて火を消すという習慣を持っていた。また眼球を親指で強く押したり、ゆっくりと髪の毛を引っ張ったりする習慣を持っていた。彼女は何か<現実的なもの>を体験するために、このようなことをしたのだと説明してくれた。ここで理解しておかねばならない重要なことは、彼女がマゾヒスティックな満足を求めたのでもなければ、無感覚でもなかったということである。彼女の感覚は普通と少しも変わらなかった。彼女は自分が生きていて、現実のものであるということ以外は、あらゆることを感じることが出来ていた。ミンコフスキーは、彼の患者の一人が同じ理由で、その衣服に火をつけたことを報告している。冷たい分裂病質の人は<刺激を求めていく>し、極端なスリルを追求するし、極端な危険に自分をさらすが、ある患者が述べたように、それは<生命をおどかしてそのいくらかを巻きあげてくる>ためなのである。(後略)
R・D・レイン「ひき裂かれた自己」p.198
それは、存在を保持する手段としての存在の拒否なのである。
R・D・レイン「ひき裂かれた自己」P.204
この辺りの文章、リストカットする人の動機に通じるものがあるんじゃないか……と思います。